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資格取得の時代
[PR] 2026.06.27 10:17
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保育士のワーキングシェアの導入はとても有効だと思う。
多くの保育士の資格保持者、経験者がグループで時間を調整し合っていくというものだ。
もちろん、注意すべき点は多いが、優秀な人材をより多く保育の現場に採用できる。
このような働き方ができる場が増えれば、ますます女性の社会での活躍が期待できるのではないだろうか。

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短時間でも働きたい人たちがグループをつくり、一つの業務を分担する勤務形態の導入を、尼崎市内の私立幼稚園が計画している。資格や経験を生かしたいがフルタイムでは働けない主婦らと「預かり保育」の長時間化に伴い人材確保が難しい幼稚園の事情を考慮した取り組み。雇用の段階からグループをつくり、勤務時間を互いに調整する。こうした働き方は、教育・保育職場では全国的にも珍しいといい、関係者も注目している。(徳永恭子)

 尼崎市浜二、浜幼稚園(小寺由起園長)。同幼稚園では、通常の教育時間が午後二時に終了してから同六時まで、毎日、預かり保育を行っている。最近は希望する保護者が多く、全園児の五分の一強が残るという。

 幼稚園の預かり保育は子育て支援策として広がり、兵庫県内の私立幼稚園では二〇〇六年度、二百三十四園のうち87%にあたる二百三園が実施。午後七時ごろまで預かる幼稚園もある。

 同園は預かり保育に対応するため、有資格者や経験者を対象に職員を募集したものの、月曜から金曜までの午後、毎日働ける人がなかなか見つからず、正規職員らの残業が常態化している。同園の秦賢志副理事長は「募集対象者は、子育て中や仕事のブランクが長い人が多い。毎日では負担が大きい」という。

 そこで、三-四人でグループをつくり、出社日を調整してもらう方法を検討。雇用契約は一人ずつで時給制となるが、将来的には正社員登用もあるという。秦副理事長は「幼稚園職場は育児支援の観点から年々、専門性が高くなっている。優秀な人材を採用したい」と話している。

 幼稚園教諭か保育士の資格を持ち、グループで働くことを希望する人が対象。来年一月に現場体験をし、個人面接を経て四月に正式採用する予定。十二月七日午後一時半から午後三時半まで、説明会を尼崎市南武庫之荘三の市女性センターで開く。多様な働き方を提案し、同園と求職者の調整役をしている特定非営利活動法人シンフォニーが主催する。申し込みは同法人TEL06・6412・8448


■労使双方にメリット 上林憲雄神戸大大学院教授(人的資源管理・経営組織)の話

 こうした働き方はジョブシェアリングと呼ばれ、希望に合わせて勤務体系を決めることができる労働者と、画一的な勤務形態では雇用できなかった労働者を採用することができる経営者双方にメリットがある。幼稚園は扱う対象が幼児であり「無責任体制」が生じないような工夫が必要だが、新たな働き方として広がるのではないか。

出典:神戸新聞

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私は医療事務の資格を持っていますが、今、中央社会保険医療協議会で医療事務補助員を配置した病院は診療報酬に加算を認めようかという議論が進められているそうで、気になります。
医療事務補助員がつくことで診療報酬に加算が認められれば、病院における業務がより円滑に行われ、患者さんにとっても待ち時間が少なくなったりという効果も予想されますが、同時に医療事務の求人も増えるのではないかと期待しています。

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中央社会保険医療協議会(中医協)の診療報酬基本問題小委員会(第106回)の議事録がサイトで公開されています。その他の議事録はこちらから。この時期になると中医協というところで翌年度からの診療報酬をどうすべきかが議論されます。例えば直近ではジェネリック医薬品や、訪問看護などがテーマにあがりました。その中で気になったものがありましたので紹介したいと思います。

医療事務補助員、またはメディカルクラークなどと言われる人を配置した病院は、診療報酬に加算を認めようか、という議論が進められています。医療事務補助員は、従来からあったレセプトの計算や、診療情報管理士が行うカルテの管理とは違った仕事を担います。それでは何をするかと言うと、忙しい病院で医師が診察に専念できるよう、診察中の医師に代わってカルテを書き取ったり紹介状を書いたりする仕事です。医療秘書というとしっくりくるかもしれません。

今でもかなり大規模な病院では人気ドクターに若手のドクターがつきながら診察に当たる姿が見られることがあります。3時間待ちの3分診療と言われるほど混雑が激しい病院では、人気ドクターが紹介状や処方箋などを細かく書いていると人が裁けません。そこで他のドクターに補助に回ってもらうという事があるようです。

現在のところは医師でも看護師でもない人が診察室内にいて、それもカルテを書くという話は聞いたことがありません。自分が患者だったらびっくりすることでしょう。ですので大病院では白衣を着たドクターが補助に回ることになるわけですが、貴重なドクターの労力を診察の補助に回してしまうのはもったいないように思います。そこでドクターの補助に特化した技能を身に着けた人がドクターの補佐をすることで医療資源が有効活用できるのでは、というのが今回の改訂の狙いであるように思われます。

この案が採用されれば患者さんの待ち時間が減ることにつながるでしょう。3時間待ちの3分診療で、紹介状を30分待つという事が無くなるかもしれません。一方で、医師でない人がカルテを書くことに対しては守秘義務の問題など課題も多いと考えられます。しかしカルテを書く事を専門とする職業ができれば、電子カルテに関する考え方も一変するかもしれません。極めて熟練度の高い人に合わせたUIを搭載した電子カルテが使われるようになれば、今よりも詳細な記録を残せるようになるのではないでしょうか。

現在、いまいち爆発的な普及に至らない電子カルテですが、医療事務補助員制度の導入に寄ってその事情が大きく変わるかもしれません。
出典:ITmedia

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シドニー・マーケット・シティの裏側に、カフェや博物館などが立ち並ぶ落ち着いた通り、ハリス・ストリートがある。ここに8月、自身のヘア・サロンをオープンした女性がいる。小林由加子さん――。短大の卒業旅行で訪れたオーストラリアに魅了され、将来はこの地に永住することを決意。ワーキング・ホリデーを出発点に、美容師として懸命に働き、現在にまで至ったその軌跡をたっぷりと話してもらった。
■短大の卒業旅行でオーストラリアのとりこに
「もともと海外や語学などにさほど興味のある方ではありませんでした。でも短大の卒業旅行で訪れたシドニーに一気に魅了されて」。街全体の開放的な雰囲気、人ののんびりとした生き方に、これだ ! と思ったという。「その旅行中に、将来は絶対にオーストラリアで暮らそうって決めてしまっていましたから、何て急な思い付きなんでしょうね(笑)。でもその時の旅行のガイドさんに、オーストラリアに住むには永住権が必要なこと、美容師になると取得しやすいことなど、かなり具体的な情報を聞きこんでいました」。
  日本に帰国後は、すぐに渡豪計画開始。美容師になるため専門学校に通った。資格取得後は、大阪にある美容院で約6年間経験を積んだ。目標を持ちながらそれだけの年数を働くというのは、長く感じられたことだろう。「ある程度お金が溜まれば、6年も待たずに留学することはできました。でも私の場合、ワーホリは渡豪する手段であって、行ったらすぐに美容師として働こうと思っていたので、就職に少しでも有利になるよう経験を積んでおきたかったんです。結局渡豪したのは、ワーホリの年齢制限(当時は25歳)ぎりぎりの歳でした」。6年の間、一心にオーストラリア行きに向けて働いていたというのだから、何と信念が強いのだろう。
  実は由加子さんのお母さんも、美容師として店を経営している。「昔からなぜか親と同じ道を歩むことに抵抗を感じていて、あえて美容師になるのは避けているところがありました。でもオーストラリアでは美容師が永住権を取りやすいという現実から、この道を進むことにしました」。由加子さんの目標は、オーストラリアで暮らすこと。その実現に向け資格を取りしっかりと経験を積み、費用も蓄えての渡豪となった。

■念願の永住権取得
  1999年、オーストラリアにやって来てすぐ美容師としての職探しを始める。運良く、当時のフラット・メートが利用していた日本人経営のサロン、フー(Foo)で採用が決まる。きっと日本での経験を買われたのだろう。「面接時に、将来は永住を考えているので、長期で働けるビザがほしいことを告げると、ビジネス・ビザもサポートしてもらえることになりました」。この店では1年少し勤務。その後、より永住権の可能性を求めて他店へ移ることにした。
  次の採用が決まったのは、それまでのビジネス・ビザがあと1カ月で切れるというギリギリの時。チャイナタウンにあるマーケット・シティ内のサロン「シチズン」だ。「何とか採用は決まったんですが、新たに申請したビジネス・ビザが却下されてしまって…」。結局2度目の申請で無事通ったものの、ビザのことでは本当に不安になったという。「この店では実によく働きましたよ。チャイナタウンという好立地にあることもあって毎日多忙を極めていました。約7年お世話になりましたが、朝から晩まで、いやあ、自分でも本当によく働いたと思いますね(笑)」。そんな努力が報われて、指名してくれるお客さんが徐々に増え、給料も歩合制になり、頑張れば頑張る分だけ跳ね返ってくるようになった。さらに店ではスーパー・バイザーとしてのポジションも任され、金銭的にも余裕が出るようになる。
  2004年には、美容師として技術独立永住ビザを申請。そして約1年後には、夢にまで見た永住権取得となった。「永住権の獲得を1つの目標にやってきたので随分肩の荷が降りました。今振り返って思うのが、ビザに関しては計画を立てることが何よりも大切だということ。法律が変わったりして予期せぬ状況に遭遇するかもしれないですが、それでもその時点でできる限りの可能性を探り、計画を練ることが大事だと思います」。

■美容師として独立――サロン立ち上げ
  永住権が取得でき、こちらでの生活の基盤も落ち着いた由加子さん。プライベートでは、2006年10月に映画監督であるジョセフ・ウォン氏と結婚した。これを機に、美容院のオーナーと今後のことを話し合った。「正直、それまで永住ビザ取得のために生きてきたというところがあります。でももうそろそろ、自分のプライベートも充実させたいという思いがあったので、正直にその旨を伝えました」。結局そのサロンは退職することにした。
「その後、何度か共同経営で店を始めないかと声をかけていただいたのですが、いろいろ悩んだ末、最終的には自分の店を持つことにしました」。店の経営者になることは、何よりも大きな選択のような気もするが…。「そうですね(笑)。でも何かあったら自分で責任がとれるでしょう ? プライベートと仕事の折り合いも自分次第でとれると思ったんです。それと今までとても忙しい店で働いてきたので、ゆったりとした時間が流れるカフェのような雰囲気のヘア・サロンがあるといいなと思っていたので、この際、自分で作ろうと思ったんです」。
  しかし実際に美容院をオープンさせるというのは、想像以上に大変なことが多いはずだ。「私の場合はとてもラッキーでした。内装工事のことから店のインテリア・デザインなど、本当に多くの友人が助けてくれたんです。建物がヘリテージ・クラスAの指定を受けているので、工事を進める際、何をするにもカウンシルの許可が必要で、面倒なことが多いのも確かですが(笑)。でも助けてくれた友人には、心から感謝です。お店は8月にオープンしましたが、これからもどんどんいい方向に変えていきますよ」。
  由加子さんから醸し出される雰囲気は、実にソフトで女らしい。彼女が目指すヘア・サロン-―-「カフェのような、居心地のいいお店」というコンセプトに通じる柔らかな印象を受ける。それでいて中身はとても冷静で現実的。きっと由加子さんは、「何とかなるさ」ではなく、自分のことは自分で「何とかする」という逞しい精神の持ち主なのだ。その彼女の人としてのバランスが、とても素敵に思えた。

出典:ワーホリ・サクセス・ストーリー


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